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こだわりが光る、唯我独尊ブランド【カワサキの歴史と特徴】

世界展開する国内4メーカーの歴史と特徴を解説する当コーナー。今回は、国産4社で最も古い「カワサキ」についてお届けしよう。

創業年は早いが、当初は造船メーカーだった

創始者の川崎正蔵氏。1896年に株式会社化し、初代社長に松方幸次郎が就任。
写真は【川崎重工の歴史】より引用

カワサキ=川崎重工業の大元である川崎築地造船所が創業したのは1878年(明治11年)。創業年は4メーカーで最も古いが、バイクの完成車を送り出したのはホンダ、スズキに次ぐ3番手だった。

創始者の川崎正蔵は、日本国郵便蒸汽船会社に勤務した時代に海難事故と遭遇。西洋船の信頼性に興味を持ち、自ら造船所を設立するに至った。

 

やがて大幅な設備増強の必要性を感じ、兵庫県神戸市の海面を埋め立ててドックを築造。1906年には兵庫県神戸市に新工場も開設した。こうしてカワサキの本拠地は兵庫県に移ることになる。

さらに戦艦、潜水艦、航空機、蒸気機関車、バス、トラックを手掛け、橋梁など建築物の製作にも乗り出す。東京都の清洲橋や白鬚橋、永代橋などを製作したのも川崎造船所だ。

これが1920~1930年代のできごとで、既に現代と同様、陸海空の乗り物をつくる企業となっていた。そして1939年、社名を今に通じる「川崎重工業株式会社」に変更している。

 

なお1941年に生産開始した戦闘機の「飛燕」は、太平洋戦争下の日本の軍用機中、唯一の水冷エンジンを採用。当時の世界水準を上回る高性能機として知られた。

戦闘機の飛燕。最大速度610km/h、高度1万メートルでも編隊飛行が可能であるなど高性能だった。
写真は【川崎重工の歴史】より引用

 

60年代後半のダブワンから大躍進

バイク用エンジンの第1号機「KE-1」(4ストOHV150cc単気筒)を1953年に開発。
写真は【川崎重工の歴史】より引用

ついにバイク用エンジンの第1号機「KE-1」を発売したのは、1953年。川崎航空機工業が開発したエンジンを「川崎明発工業」(通称メイハツ)に供給して、バイクが生産された。

当初はエンジンメーカーで、完成車を生産していなかったが、翌年、自社製作1号機となるスクーター「川崎号」を発売。「カワサキ」と言えば、一部の例外を除き、スクーターを発売しないことで有名だが、ナント、意外にもデビュー作はスクーターだったのだ。

川崎号は、2スト空冷単気筒58.9cc搭載し、最高出力2psを発揮するなど高性能だったが、当時は100社以上のバイクメーカーがひしめく時代。販売不振で、わずか1年で生産中止に追い込まれてしまう。

その後、メイハツ125-5ほか、2スト単気筒モデルを拡充するが、カワサキのバイクが一躍名を馳せたのは1960年代。1924年に創業した目黒製作所のブランド「メグロ」を、カワサキが1964年に吸収合併したことが契機となる。

500cc単気筒のスタミナZ7や650cc並列ツインのセニアT1といったビッグバイクで有名だったメグロは、小排気量車ブームに押され、業績が悪化。1960年にカワサキと業務提携した後、ついに合併されることになった。

合併後、カワサキブランドとして500cc並列2気筒のメグロK2を発売。そして1966年、K2を大改良した650-W1が登場する。バーチカルツインは、当時の国産車最大排気量624ccとトップクラスの実力を誇り、日本市場で大ヒットを記録。ダブワンの愛称で親しまれ、カワサキの歴史を語る上で欠かせない名車となった。

W1シリーズを通じてビッグバイクのノウハウを得たカワサキは、矢継ぎ早にヒットモデルを連発していく。

1969年には、2スト3気筒の500SSマッハⅢを発売。そして1973年、当時最速のホンダCB750フォアを打倒すべく放った野心作が900スーパー4(Z1)である。量産車として世界初のDOHC4気筒を引っ提げ、直4最大の903cc、ゼロヨン12秒台、最高速200km/hオーバーと性能は圧巻。W1以降、いずれも世界最速を狙ったマシンを送り出してきたカワサキだが、このこだわりは現代まで続く大きな特色となる。

圧巻の高性能を誇ったZ1。ティアドロップタンクからサイドカバー、テールカウルへ連なる流麗なスタイルも後世のバイクの規範となった。

 

「世界最速」への飽くなき渇望

Z1を発展させたZ1000、Z1Rなどを経て、1981年には第2世代のZ1000-Jがデビューした。これをベースに、ビキニカウルやライムグリーンの外装を与えたモデルがZ1000R。この通称「ローソンレプリカ」は、エディ・ローソンのライディングによってAMAスーパーバイク王者に輝いたレーサーがモチーフで、現在も高い人気を誇る。

Z1000Rの元ネタが、このAMAレーサー。
写真は【KAWASAKI RACING HISTORY】より引用

 

カワサキが再び時代を動かしたのは1984年。初代Ninja=GPz900Rの誕生である。

空冷のZ1系に代わる次世代の世界最速旗艦を模索した結果、辿り着いたエンジン型式がDOHC4バルブの水冷直4。排気量はZ1に回帰した903ccとし、世界初の大型水冷超4マシンとなった。115psのハイパワーに軽量コンパクトな車体を組み合わせ、最高速は250km/hの領域に突入していく。

前述したとおり、戦闘機の飛燕がいち早く水冷エンジンを採用し、圧倒的な性能を獲得した逸話を想起させる。

GPz900Rは、当時珍しいサイドカムチェーンの水冷直4を搭載。ダイヤモンドフレームの採用も相まって、一挙に現代レベルの走りを手に入れた。

 

さらに凄いのは、不動の世界最速を狙い、改良型を続々と送り込んだ点だ。Ninjaから2年後の1986年に997cc&125psのGPZ1000RX、その2年後の1988年に997cc&137psでアルミフレームを新採用したZX-10をリリース。最高速も10km/hずつアップし、270km/hの領域に到達した。

そして決定版のZZ-R1100が1990年に登場する。ZX-10の排気量をさらに拡大して1052ccとし、最高出力は147psをマーク。空力特性に優れた外装とラムエアシステムも投入し、ついに実測300km/hが目前に。長らく最高速キングの座に君臨した。

「大台」突破に近づいたZZ-R1100。初期のC型は、アッパーカウル左側のシングルラムエアダクトが特徴だ。写真は1991年型。

 

 

21世紀にも最強を追求、レトロ路線にも強い

カワサキが防衛してきた最速の座も、ホンダCBR1100XX(1996年)、スズキGSX1300Rハヤブサ(1999年)という強力なライバルによって、ついに奪われてしまう。

しかし負けていられないカワサキは、2000年にNinja ZX-12Rを投入する。新設計の1199cc水冷直4は、ハヤブサを3ps上回る178psを発揮。最高速ではハヤブサに惜敗するが、加速性能では勝利した。

翌年、欧州で最高速300km/h自主規制が適用されたが、ZZR1400(2006年)、Ninja ZX-14R(2012年)と高性能化に余念がなかった。特にZX-14Rは、ゼロヨンなどでハヤブサを上回る加速性能を見せ、名実ともに最強の名を奪還した1台とと言えるだろう。

打倒ハヤブサを目指して開発されたZX-12R。現代で流行のウイングを早くも備えていた。写真は2004年型

 

その一方で、過去の伝説への目配りも忘れない。

フルカウルのレーサーレプリカ人気にやや陰りが見られた1989年、懐古的なゼファー(400)を発売。Z1系のフォルムをモチーフに、敢えて空冷直4+鉄ダブルクレードルフレームというレトロな構成が、高性能バイクに飽きを感じていたライダーを惹き付け、大ヒットを飛ばす。1990年代のネイキッドブームの立役者となり、750、1100版のほか、前述のローソンレプリカを意識したZRXシリーズなども登場した。

また、ダブワンの現代版であるW650を1999年に発売開始。こちらも好セールスを記録した。

 

ゼファーは空冷エンジンを搭載し、Z1スタイルを再現。写真は最終モデルの2007年型ゼファーχ。

W650は、W1と同様、空冷バーチカルツインを搭載し、排気量にもこだわった。ネオクラシックブームの先駆けとなった1台だ。写真は2002年型。

 

現代もビッグバイクを中心に展開

これまで見てきたとおり、カワサキはビッグバイクを中心に展開してきたブランドだ。その姿勢は現在でも同様で、2021年4月現在のラインナップでは401cc以上=21車種、400cc以下=9車種となる(グレード違い含む)。アンダー400が手厚い他メーカーとは大きな違いだ。

過去にはAR50やKSR50といった原付1種のスポーツモデルを販売してきたが、スクーターは頑なにリリースせず、「FUN」の領域を追求している。

ちなみに2001~2005年の期間、スズキと業務提携していたが、その際、スズキからOEM供給を受けたビッグスクーターのイプシロンを販売していた(ベースはスズキ・スカイウェイブ250)。

 

現在のラインナップは、Ninja H2やNinja ZX-10Rを筆頭に、数多くの「Ninja」を冠したカウル付きのスポーツモデルが居並ぶのが特徴。共通の車名とスタイルで、ブランドイメージを構築するのが狙いだ。対して、スポーツネイキッドは、伝統の「Z」で統一されている。

そして近頃は、最強最速を求める姿勢を堅持しながら、他社が出せないバイクを続々生み出し、大きな反響を呼んでいる。

キッカケとなったのが、世界初のバイク用スーパーチャージャーを搭載し、2015年に市販化されたNinja H2だ。200ps+スーパーチャージャーの暴力的な加速が喝采を浴び、2019年型で怒濤の231psにまで引き上げられた。これは公道走行可能な市販バイクで文句なくナンバー1の最高出力である(ちなみにレーサーのNinja H2Rは326ps!)。

スーチャーは川崎重工のガスタービン部門、機械カンパニー、航空宇宙カンパニー、技術開発本部らが協力して設計。様々な領域を手掛けるカワサキにしかできない1台だ。

世界初のスーパーチャージドバイクとなったNinja H2 。川崎重工の技術が結集された1台だ。残念ながら2021年型(写真)での生産終了がアナウンスされている。

 

そして2020年には、現行モデル唯一の250cc4気筒を搭載したNinja ZX-25Rを投入。このクラスの4気筒は、2000年代に排ガス規制により生産終了し、単気筒や2気筒のみとなっていたが、新設計ユニットで規制に対応。こちらもヒットを飛ばしている。

また、250フルカウルがブームだが、その先駆けとなったのが2008年にカワサキがリリースしたNinja250Rだ。

ZX-25Rの登場によって、約13年ぶりにニーゴー4気筒が復活。2020年の話題を大いにさらった。

 

さらに、レトロ路線にも一層注力している。2008年に販売終了となったW650が、W800として2011年型で復活。2000年代に絶版となったゼファーシリーズの穴を埋めるように、Z1モチーフのZ900RSを2018年型から導入している。このZ900RSは大ヒットモデルとなった。

加えて2020年には、前半部で紹介した「メグロ」の名を冠するメグロK3も新登場。W800をベースに、独特なエンブレムやメッキタンクを与え、実に55年ぶりのメグロブランド復活となった。

Z900RS(2018年型)。上記のZ1と見比べると水冷エンジン、モノサスなどの違いはあるが、雰囲気はやはり似ている。

2021年2月に発売されたメグロK3。今後のメグロブランド展開にも期待される。

 

レースはSBKで破竹の快進撃中! 

レースでの活躍にも簡単に触れておきたい。

オフロードレースは1961年の全日本モトクロスから、国際ロードレースは1968年のデイトナから本格参戦した。

シンボルカラーの「ライムグリーン」は、米国で不吉な色とされていたが、敢えて採用。反骨精神やチャンジングスピリッツを感じさせてカッコイイ。なお、ライムは「トイレの色」で、誰も使わなかったから、との通説も。

1970年には世界GP500ccクラスに参戦。1978~1979年には2年連続でWGP250とWGP350のダブルタイトルを獲得している。

そして2002年には、20年ぶりにロードレース世界選手権に復帰。並列4気筒のNinja ZX-RRを投入し、2008年まで参戦。最高位は2005年などに獲得した2位だった。

 

 

1978~1979年のWGP250と350をコーク・バリントンが連覇。マシンはKR250とKR350だ。
写真は【KAWASAKI RACING HISTORY】より引用。

 

近年、カワサキが目覚ましい活躍を見せているのがスーパーバイク世界選手権(SBK)だ。市販車ベースで争うカテゴリーで、Ninja ZX-10RR+ジョナサン・レイが2015年から2020年まで6連覇中。前人未踏の大記録を更新中だ。

さらに2019年の鈴鹿8耐でも、ZX-10RRとレイらの走りで26年ぶりにカワサキが勝利を挙げている。

 

 

カワサキの8耐制覇は、1993年の伊藤ハムレーシング以来、26年ぶり。ヤマハの5連覇を阻止した。

 

まとめ:斬新なマシンづくりでハートをつかみ続ける

筆者が考えるに、4メーカーの中でも最もこだわりに満ちたブランド。それがカワサキだ。

世界的なシェアは4メーカーで最も少ないが、他社がやれないことを続々と成し遂げ、熱狂的なファンの多さでは他社に全く引けを取らない。そして今、存在感はますます輝くばかり。最も勢いに乗るメーカーの一つと言えるだろう。

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沼尾宏明

ふだんフリーランスとして、主にバイク雑誌の編集やライターをしている沼尾です。 1989年に2輪免許を取得し、いまだにバイクほどオモシロイ乗り物はないと思い続けています。フレッシュな執筆陣に交じって、いささか加齢臭が漂っておりますが、いい記事を書きたいと思っているので、ご容赦ください。趣味はユーラシア大陸横断や小説など。よろしくお願いします。

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