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Triumph(トライアンフ)・モーターサイクルの歴史

イギリスのバイクメーカーの「Triumph(トライアンフ)」は、バイク乗りの方なら名前ぐらいは聞いたことがあるのではないでしょうか?

トライアンフのモーターサイクルの歴史120年を振り返りながら、トライアンフの辿ってきた軌跡を紹介していきます。

トライアンフの誕生

「No.1」 引用:Triumph Motorcycles

トライアンフの誕生は、今から135年ほど前の1885年まで遡ります。ドイツ人のジークフリード・ベッドマンがイギリスに渡り、貿易会社を興したのが始まりです。

ベットマンは、庶民の足として普及し始めていた自転車に注目し、「ベットマンサイクル」としてイギリスの自転車メーカーから仕入れをして、ヨーロッパ各地へ輸出を開始します。1886年、社名を「The Triumph Cycle Company」と変更されました。

1902年にトライアンフで最初のモーターサイクル「ナンバー1」が誕生します。

第一次世界大戦勃発

1914年、第一次世界大戦が勃発しました。戦争が始まるとイギリス政府はトライアンフに対し軍事用バイクの納入を要請します。軍事用の生産と納入はトライアンフに大きな名声と利益をもたらしました。

第一次世界大戦も終わり、1920年代になるとイギリスは不景気に見舞われ、1929年にはアメリカの証券市場の大暴落を引き金に世界大恐慌が発生しました。この不景気の波は世界中を飲み込み、欧米のモーターサイクルメーカーにも大きな影響を与えました。そんな不況の中、トライアンフは4輪自動車の製造販売にも着手しますが、利益は上がらず低迷します。

トライアンフのモーターサイクル事業と自動車事業は分離され、1936年にはモーターサイクル事業をジャック・サングスターが買収し、サングスターはチーフデザイナーとしてエドワード・ターナーを迎え入れます。そこで入れ代わるように、トライアンフの有能な設計者であったヴァル・ペイジが「BSA」に移籍しました。

「タイガー」登場

ターナーは、ペイジが開発したモデルをベースにOHVエンジンを搭載したニューモデル「タイガー」を開発します。

タイガーは「タイガー70(250cc)」「タイガー80(350cc)」「タイガー90(500cc)」の3車種が製造されました。タイガーシリーズは、性能面だけではなく、クロームの部品を多用したルックス面での評価も高く人気車種となりました。

この頃からトライアンフの経営は徐々に業績を回復させていきます。

「スピードツイン」登場

「スピードツイン」 引用:Triumph Motorcycles

1937年、ターナーが生み出したモデルの中でも傑作と言われる1938年型の「スピードツイン」が登場します。エンジンは今までのモデルを参考に、500ccのバーチカルツインエンジンが開発され、最高時速は93マイル(150km/h)と公表され、「タイガー90」よりも速いバイクとして業界とユーザーに大きな衝撃を与えました。

その後「スピードツイン」をベースに、1939年に「タイガー100」が販売され最高速度は100マイル(160km/h)をマークしました。
このことから「タイガー」「スピードツイン」の販売実績は好調で、トライアンフの業績はみるみる回復していきました。

第二次世界大戦勃発

上記の「タイガー100」が発売された1939年には第二次世界大戦が勃発します。ここでイギリス政府は再度トライアンフに軍用車の納入を要請しました。

しかし、トライアンフの製造工場があったコベントリーは、イギリスの重要な軍需産業地帯であったためにドイツ軍の激しい爆撃で、1940年にはトライアンフのコベントリー工場は壊滅状態となってしまいました。

その後1942年、ウエストミッドランズにあるメリデンという田舎町にトライアンフの新工場が建設され軍用車である「5TW」「3SW」「3HW」の生産が行われました。

大戦中には5万台もの軍用車を生産し、民間用モーターサイクルは生産を停止し、トライアンフの工場では、軍用機や戦車用の部品の製造なども行われました。

6年にも及んだ第二次世界大戦も1945年に終結し、トライアンフも徐々に通常の生産体制へと戻っていきます。

戦後のトライアンフ


引用:Unsplash

戦後になると、戦前モデルの「スピードツイン」「タイガー100」の生産を再開します。そして、350ccの2気筒エンジンを搭載する「3T」を加え、この3車種のみを生産します。

1946年には、国別のトライアルレースで「スピードツイン」で出場したイギリスチームが優勝した事をきっかけに「TR5」が開発され、優勝トロフィーにちなんで「TR5」には「トロフィー」というニックネームが付けられました。

「6Tサンダーバード」登場

「6Tサンダーバード」 引用:Triumph Motorcycles

1949年、エドワード・ターナーは「スピードツイン」の後継モデルとなる「6Tサンダーバード」を開発します。

この「6Tサンダーバード」は、本国イギリスではなく、アメリカ市場を視野に入れて生産されたバイクでした。当時のアメリカではインディアンやハーレーなどの大排気量の大型バイクに人気が集中していました。そのため「サンダーバード」は2気筒500ccのスピードツインのエンジンを650ccに拡大し、軽量で敏捷なバイク特性を売りとしてアメリカ市場へと送り込まれます。

これが、ターナーの目論見どおりにアメリカでの大ヒットを記録し、これを足がかりにトライアンフ及び他のイギリスメーカーもアメリカ進出を推し進めました。

1953年、アメリカの人気俳優マーロン・ブランド主演の映画『乱暴者』で、彼が乗っていたバイクがトライアンフの1950年型「6Tサンダーバード」でした。

「ボンネビル」登場

「T120ボンネビル」 引用:Triumph Motorcycles

1959年、トライアンフのフラッグシップモデルとして「T120ボンネビル」が登場します。排気量650ccの2気筒エンジンは「タイガー110」のエンジンをベースに開発され、アルミのシリンダーヘッドにツインキャブレターを装備し、ハイカムやスリックシフトなど、かなりのレーシング仕様な市販車として販売されました。

トライアンフ史上最も成功した「ボンネビル」のモデル名は、最高速度の記録挑戦が行われる「ボンネビル・ソフトフラッツ」から由来しています。

トライアンフは、この時点で世界最速の座に君臨していて、その後の1968年に、日本のホンダに記録を破られるまでの10年近くもの長きにわたり「世界最速」の栄冠に輝き続けていました。

1963年、アメリカの人気俳優スティーブ・マックイーン主演の映画『大脱走』で、彼が跨っていたバイクは1962年型「TR6」トロフィーでした。

トライアンフの衰退


引用:pixabay

1960年代に入ってもトライアンフの進撃は続き、世界最高速度記録の挑戦と達成、世界各地の様々なレースでも好成績を残し、トライアンフの「速さ」を世界に見せ続けます。

しかし、トライアンフの栄光の裏で新たに世界進出を目論む存在がありました。それが、日本製モーターサイクルでした。エドワード・ターナーは、この日本のモータサイクルの動きを敏感に察知し、1960年に来日、ホンダ・ヤマハ・スズキの工場を視察します。そこで彼が目にしたのは日本の高度に管理された品質・効率的な生産体制・驚異的な生産台数など、日本製モーターサイクルの存在は、ターナーが近い将来欧米メーカーの脅威となると危機感を抱かせるのに充分でした。

そんな中、1961年ジャック・サングスターがBSAグループを辞職、’64年にエドワード・ターナーがトライアンフを退社、その後BSAに移籍後、’67年に退社。トライアンフの栄光を築いてきた2人が業界から姿を消します。

1968年、上記で少し触れましたが、日本のホンダ「CB750Four」が世界最速市販バイクの称号を奪い取りました。これにより、世界中で「ホンダ」人気が高まることになります。

その後、日本のモーターサイクルメーカーの勢いは止まらず、1970年代に入ると、イギリスのモーターサイクル産業は危機的な状態にまで落ち込みます。

1973年、トライアンフも所属するBSAグループが、巨額の負債を抱え経営が破綻、その後BSAグループの傘下だったNorton(ノートン)とBSAが合併し、「NVT(ノートン・ヴィリアース・トライアンフ)」が設立されます。
「NVT」の設立と共に、トライアンフのメリデン工場は閉鎖、生産がストップしてしまいます。ここでトライアンフの歴史は幕が下されたのかと思われました。

衰退からのトライアンフの復活


メリデン工場が閉鎖されたことで、労働者組合からイギリス政府への働きかけにより、「メリデン労働者組合」が設立されます。

1975年から、再びメリデン工場での生産が始まり、それらの車両は「メリデンモデル」と呼ばれるようになりました。1977年にはトライアンフの商標権や生産権および資産を共同組合に譲渡されるカタチになります。しかし、メリデン労働者組合による経営もやがて破綻し、1983年にメリデン工場は閉鎖されました。

1984年にメリデン工場は取り壊されましたが、実業家のジョン・ブルーアがトライアンフの商標権及び生産権を購入し、新たなトライアンフを立ち上げました。
1990年、レスターシャのヒンクレー工場が稼働開始、1991年には車両の本格的な生産も開始しました。ここからが復活したのが現在のトライアンフとなるのです。

まとめ

トライアンフの歴史ということで、紹介させていただきましたがいかがでしたでしょうか?

1902年にトライアンフのモーターサイクル1号機の完成から、現在までの120年の長い年月でトライアンフがいかに成長し、栄光を掴み、衰退し、復活してきたのかを紹介しました。

歴史あるトライアンフのバイクは、現在もその魅力を輝かせ続けています。
トライアンフの歴史に触れることで、今まで以上に「トライアンフ」に興味を持っていただけたのであれば幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

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    呉東和虎(Kazu_Ghost)

    バイク大好きで30年近く乗っています。 バイクのメンテナンス・カスタムは、ほぼ自分ですべてやります。 愛知県在住でツーリングも大好きです。 ◇バイク保有経歴
 ゼファー400(マフラーはモリワキのワンピース搭載) ⇒ボルティ(カフェレーサーフルカスタム) ⇒Roiyal Enfield Bullet350 ⇒エストレヤ(カフェレーサー・CRキャブ搭載) ⇒GN125H(カフェレーサカスタム進行中・現在所有) 読者のみなさんが【楽しめる記事・役に立つ記事】をお届けします。 よろしくお願いします。

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