世界展開する国内4メーカーの歴史と特徴を解説する当コーナー。第1回は、2020年に創立100周年を迎えた「スズキ」からお届けしよう。
国内4メーカーでは2番目にバイク事業に進出
国産4メーカーの一角である「スズキ」が誕生したのは1909年(明治42年)10月。静岡県浜名郡天神町村で、鈴木道雄氏が「鈴木式織機製作所」を創業した。当初は、糸を織物にする織機メーカーだった。
初のバイクを送り出したのは、1952年6月。第1号機は2スト36ccの「パワーフリー号」で、現存する国内ブランドとしては、ホンダに次いで2番目のバイク事業進出だった。
パワーフリー号は、特許技術のダブルスプロケットホイルや、2段変速機といった高性能で、大ヒットを飛ばす。こうした他社を上回るハイスペックは、以降の歴史でも盛んに繰り返され、現代にまで続く。スズキの大きな特徴は、既に初号機から体現されていたのである。
1909年、創業当時の鈴木式織機製作所の店舗。
1号機のパワーフリーは、自転車用の補助エンジンだった。
翌1953年には2スト60ccのダイヤモンドフリー号を発売し、早くもレースに参戦。同年の富士登山レースでいきなり優勝を遂げる。さらに1954年にはスズキ初の2輪完成車=コレダ号で出場し、2年連続で優勝を飾った。
同年、「鈴木自動車工業株式会社」に社名変更。さらに翌年の1955年には、4輪事業にも進出していく。余談ながら国産4メーカーで現在も乗用車を一般販売しているのは、ホンダとスズキのみである。
そして1960年には、最も格式があり、当時の世界グランプリに組み込まれていたマン島TTに参戦開始。1963年には日本人として初めて伊藤光夫が優勝するなど、輝かしい成績を収める。
その後、撤退期間を経て、1976年から1982年まで最高峰の500ccクラスでメーカー部門7連覇を達成。’78~’80年のライダーズタイトルこそヤマハのケニー・ロバーツに奪われたものの、無類の強さを誇った。
日本人で初めてマン島TTで優勝した伊藤光夫選手(故人)。スズキの社員ライダーで、50ccクラスでの勝利だった。
’80年代に名車のGSXシリーズやカタナが誕生
マン島に4ストロークで挑んだホンダに対し、スズキは軽量ハイパワーな2ストで参戦。市販車でも2スト車を積極的に開発し、’70年代には2ストロークのGT380、GT750といった名車が生まれ、大人気を博す。しかし、米国の排ガス規制(マスキー法)やオイルショックの影響により、環境にやさしい4ストロークの需要が高まる。
スズキは、4ストで最後発メーカーとなったが、入念な研究開発の末、GSシリーズを発売。既に世界有数のチューナーであったヨシムラをして「過剰品質」と言わしめるほどの完成度を誇った。
’81年には、その発展形であるGSX1100Eを経て、GSX110Sカタナ(いずれも海外モデル)を投入。’80年のケルンショー発表時には、「ケルンの衝撃」と言われるほどの話題に。当然ヒットを飛ばし、国内でもGSX750Sが販売された。カタナに象徴されるように時代の節目に、唯一無二のデザイン性を持つバイクをリリースするのもスズキの特徴だ。
日本刀をモチーフにしたデザインが衝撃的だったGSX110Sカタナ。現代カタナの元祖だ。
一方で2ストローク車も再び隆盛を迎える。’83年、市販車で初めてアルミフレームを搭載したRG250Γを発売。’81~’82世界GP500のチャンピオンマシン=RG-Γの名を受け継ぎ、レーサーそっくりの大型カウルや低く構えたセパレートハンドルという画期的な装備も与えた。大人気を呼び、’80年代レプリカブームに完全に火を着けたのだ。
’84年にはGSX-R(400)、GSX-R750という4ストでも圧倒的スペックのマシンをリリース。以降も続くGSX-Rシリーズの元祖であり、現代の最高峰スポーツ=GSX-R1000Rの礎と言える存在で、様々な市販車レースで旋風を巻き起こしていく。
レース人気の高まっていた’83年にデビューしたRG250Γ。完全にレーサーレプリカブームに火が着く。
初代’85GSX-R750。独自の油冷エンジンを搭載し、最高出力100ps(海外フルパワー)、乾燥重量179kgという圧倒的な軽量ハイパーで時代を変えた
1990年には「スズキ」に社名を変更。’90年代にはネイキッドのバンディットシリーズなどが人気を呼び、’99年には2輪車の累計生産台数が4000万台に到達する。
そして同年、GSX1300Rハヤブサが海外でデビュー。ノーマル状態で市販車初の実測300km/hオーバーを記録する記念碑的マシンとなった。余りの性能と人気に、欧州委員会で速度規制議論が勃発。’01年、メーカーは自主規制として300km/hリミッターを装着する事態まで巻き起こした。
初代ハヤブサのGSX1300Rハヤブサ(写真)は175ps、2008年登場の2世代目では197psに到達。丸みを帯びたエアロボディも斬新だった。
買い得感高し、特にアンダー250が充実
そして現在。総合バイクメーカーとして、国内では50ccから1300ccまで多彩なジャンルを販売している。国内4社の中で、日本および世界におけるシェアは3番手。4輪のシェアトップを誇るインドに2輪車最大の生産拠点を設け、現地でバイクの業績も伸びている。
国内のラインナップは、全32モデル(’21年3月下旬現在。グレード別もカウント、カラー違いとレーサーは除く)。他メーカーに比べ、特にアンダー250ccが充実しているのが特徴だ。400クラスはバーグマン400のみなのに対し、250cc以下にはネイキッドからフルカウルスポーツ、スクーター、アドベンチャーモデルまで揃う。
おしなべてスズキの傾向としては、「コスパの高さ」が挙げられる。性能を追求しつつ、ライバルより価格が控えめなモデルが多い。この傾向は、スズキの軽自動車でも同様だが、徹底したコスト管理と効率化で、いいモノを安く提供しているのだ。
例えば、4月2日に国内発売された新型ハヤブサは、機能を大幅に充実させながら従来型より約36万円増の215万6000円~に抑えた。GSX-R1000Rもライバルのリッタースーパースポーツに比べ、最も安価だ。250クラスのGXS250Rシリーズは50万円台、ジクサーシリーズにおいては40万円台で買える。
’21最新モデルのハヤブサ。従来型を上回る速さと、電脳デバイスを満載しながら価格は控えめ。
フルカウルのジクサーSF250(左)は、48万1800円。ネイキッドのジクサー250は44万8800円だ。最初の1台にもオススメ。
個性的なデザインも大きな魅力の一つだ。過去の例は枚挙に暇がないが、現在でもハヤブサ、カタナ、Vストローム1050、GSX-S125などはとりわけ独特。
これに対し、技術は堅実だ。GSX-R1000Rのように国産スーパースポーツ勢で唯一の可変バルブなど斬新な機構を与えた例もあるが、大部分のモデルには奇をてらわず信頼性の高いメカを採用。高性能なのはもちろんながら、技術者集団が地道に造り込むことで、耐久性や、実際に乗った際のフィーリングなどスペックに表れにくい部分も重視されている。
初代を現代版にアレンジしたカタナ。このフォルムはスズキならでは。
Vストローム1050XTは、’80年代のダカールラリーで活躍したDR800がモチーフ。DRは、流行しているクチバシの元祖だ。
2012~2014年の参戦休止を経て、復帰したモトGPも絶好調。2020年には、実に20年ぶりとなる年間チャンピオンも獲得した。レースに強いスズキが復活し、市販モデルの車体色にもレースイメージの強いタイプが増えている。
2輪レースの最高峰、モトGPで、スズキのジョアン・ミルが年間タイトルを獲得。2000年のケニー・ロバーツ・ジュニア以来、スズキとして20年ぶりの戴冠となった。[写真は19年]
GSX-R125(写真)などに、モトGPマシンGSX-RRをイメージした車体色が登場。旗艦のGSX-R1000Rはもちろん、ジクサー250/150シリーズにも用意される。
まとめ:他にはない独自性と身近さが魅力
ライバルより購入しやすい上に、他メーカーにはない個性的なマシンが多く、一度ハマれば抜け出せないほど魅力的なスズキ。「鈴菌」といいうスズキマニアを表す言葉もあるほどだ。世界に冠たる大メーカーながら、実にユニークなブランドである。
創業から100周年を超え、初のバイクから70周年を迎えようとしているが、レースに挑む精神と、他社にはないモノを生み出す気概は変わらない。 [写真:スズキ]
他の4大メーカーの歴史についても執筆したので、興味がある人はぜひ読んでみて欲しい。
投稿者プロフィール
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ふだんフリーランスとして、主にバイク雑誌の編集やライターをしている沼尾です。
1989年に2輪免許を取得し、いまだにバイクほどオモシロイ乗り物はないと思い続けています。フレッシュな執筆陣に交じって、いささか加齢臭が漂っておりますが、いい記事を書きたいと思っているので、ご容赦ください。趣味はユーラシア大陸横断や小説など。よろしくお願いします。